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ホテル大一屋−美味鮮菜「山海亭」−縄手通り「はんこの鈴木」− 中町通り−薬膳飲茶「謝藍」−松本駅前広場−ホテル大一屋 |



| GW以来となる信州への出発前夜、緊急招集を掛けてきた友達に会いに、電車を4つ乗り継いで高尾のビアマウントに駆けつけ、ハイネケンガールの見事な曲線美に見蕩れながら、久しぶりに気持ちよく生ビールをがぶ飲みした僕は、案の定、翌日、慌てる気にもならないほど豪快に寝坊をし、夕方の5時近くになって、やっと松本にたどり着いた。 出発前の計画では、中央高速を諏訪で一度下り、奇岩の守屋山に登ってひと汗かいてから温泉で汗を流し、松本で酒を楽しもうと思っていたのだが、肝心の山登りが消えてしまい、わざわざ横浜から車を飛ばして、けっきょく穂高温泉郷の立ち寄り湯で心身ともにすっかり緩んだ後、松本で酒を飲むだけの一日になってしまった。 まあそれもいいだろう。 昨日の酒が賑やかだっただけに、今日はのんびりと、旨い肴と信州の地酒で、緩やかな時間を過ごそうではないか。 長期の休みボケで、今日から世間が3連休に入ることを前日まで知らず、車中からの電話で、苦闘の末にやっと確保した宿でシャツと半ズボンにサンダル履きという気楽な姿に着替え、僕はまだ日が残る松本の街に繰り出した。 |

| さて今夜、お目当ての店は GWに初めて訪れて その素材を生かした調理の仕方に いたく感激した「山海亭」である。 時刻は午後の6時前。 まだまだ時間が早いせいか 店内に客の姿はほとんどない。 気兼ねなく 料理の写真を撮りたいので 店の女将さんに無理を言って 座敷に座らせてもらい まずは生ビールで喉を潤す。 山に登ろうが登るまいが 温泉の後のビールはやっぱり最高だ。 |
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| ジョッキの生ビールをノドを鳴らして飲んでいたら、注文した絶品の手作り豆腐を運びながら、店の女将さんが、すごすごと近づいて来た。 「お客様。今日は遠くから?」なんだか遠慮気味に僕に声を掛ける。 「はあ…。横浜の方から来たんですが… 」 「あの〜…」女将さんの顔がずいっと僕に近づく。 なんだかイヤな予感…。 「私は、よくわからないんですが…」女将さんが僕の瞳を覗きこむように言う。 「お客様はもしかしてホームページとかいうものを…?」 げっ!ばれた! 実は5月の連休に、豊科の桜城山に登った夜に、松本に宿を取り、この山海亭を訪れて、あまりの料理の旨さにホームページで【松本の店で3本の指に入る店】と紹介したところ、店の人から「次回訪れた時には、ぜひ当店秘蔵の幻の酒をご賞味ください」とのありがたいメールをいただいていたのである。 「北アルプスの風」に「街角散歩」を掲載して以来、実は幾つかの店から、感謝のメールをいただき「次回、店を訪れた時にはぜひ一声掛けて…」というありがたい言葉をもらっていたのだが、こちらとしては、店に断りもなく勝手に写真を撮り、その上、偉そうに評価までしているという強烈な負い目がある。 正直言えば、いつも店の人の眼を気にして、どきどきしながら写真を撮っているだ。 店を再訪して「私がこの店を紹介した潤平でございます」などと、とても宣言する勇気はない。 そんなわけで今日も素知らぬ顔をして、山海亭を訪れていたのだ。 そんな中で、いきなり声を掛けられて狼狽した僕は、ついつい引け目に思っているトンチンカンな言葉を口にしてしまった。 「す…すいません。勝手に写真撮っちゃって、勝手に言いたいこと書いちゃって…!」 普段偉そうにしているくせに、いざとなったら恐ろしいばかりの小心者である。 「いえいえ、お褒めいただいて、店の者みんなが感激していたんですよ。厨房の若い者が、もしかしてあの人は…」というので、声を掛けさせていただいたんですが、それはまあまあ」女将さんが親しげに頭を下げる。 こちらはもう、顔を紅くして頭を掻くしかない。 「実は、メールを差し上げた滝沢という者は、普段は手打ちの蕎麦屋を営んでおりまして、店が終わってからここに来るのですが、潤平さんが現れたら、例の日本酒を必ず出すように言われておりまして。お出ししてよろしいでしょうか?」 こらえきれずに口元がほころぶ。 |

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「メールに書かれていた幻の酒ってやつですね」 「はいはい、そうです。今お持ちしますので」 そういって女将さんが腰を上げる。 う〜ん…。 おかしな夜になってきた…。 ほどなく運ばれてきたのは まだ販売名もついていない 大信州の仕込み18号と52号。 ガラスの徳利のくぼみに氷が入り 飲み頃に冷えた ふたつの地酒を呑み比べてみる。 18号の味は実に軽やかでフルーティ。 口に含むとほのかに 林檎の香りが鼻に抜ける。 飲みやすく これは女性に人気が出るだろう。 一転52号はカツンとくる辛口で こちらは芯に響く味だが それでも飲み口に尖りはない。 こいつは旨い。 |

店にも出していない 幻の酒をご馳走になりながら たかが個人的なホームページで 好き勝手なことを書いて こんな贅沢を味わっていいのだろうかと 懐疑的になりながら 生地に蕎麦粉を使った 信州蕎麦ピザをカリカリと頬張り 自家製角煮饅頭を ハフハウ言いながら頬張っていたら 女将さんがすごすごと ハンディホンを持って現れた。 「滝沢から電話が入っております」 げげっ! 受話器を取ってまた言っていまう。 「すみません。勝手に写真を載せちゃって…」 「いや〜!前もって言っていただけば店に行ったんですが」 滝沢さんの明るい声が 受話器を通して聞こえてきた。 |
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| 滝沢さんの声が続く。 「実は私、昼間は手打ち蕎麦屋を営んでおりまして。店を閉めてから山海亭に足を運んでいるんですよ。幻の酒はいかがでした?」 「いや、本当にそれぞれ独自の風味があって美味しかったです。いい酒をいただきました」 「それは良かった!ところで…」 滝沢さんが言葉を続ける。 「実は今度、店で手打ち蕎麦をメニューに載せようかと思いまして、うちで打った蕎麦を山海亭に置いてあるんですよ。今夜、その蕎麦を茹でて、店のみんなで試食会をしようかと思っていたんですが、潤平さん、申し訳ありませんが、試食して感想をいただけませんか?」 手打ち蕎麦は、大好物である。もちろん二言はない。 しかし、僕の感想なんて役に立つのだろうか。 それを見透かしたように滝沢さんが受話器の向こうで言う。 「潤平さんは、この時間だったら、山海亭だけで終わるわけがないでしょうから、次の店の繋ぎ程度の量にするよう、店の者に言っておきますから」 実にありがたい言葉だが、気恥ずかしい限りである。 |

| その後、ウーロンハイをチビチビやりながら、地鶏のレバー漬けなどをつまみ、おあいそをお願いしたら、先ほど電話で聞いた、椀に盛られた手打ち蕎麦が運ばれてきた。蕎麦の色からして、つなぎに対して、かなりの蕎麦粉の割合だとわかる。 箸に挟み、ズズッと口に運ぶ。 うんうん。蕎麦の良い香りが口の中にフッと広がる。 しかし惜しいかな、茹で加減と水へのさらし具合のバランスが微妙に合わないのか、腰の強さがシコシコとした感触ではなく、微妙にボソボソと口の中で途切れる。良い蕎麦粉を使えば使うほど、その茹で加減と水洗いの加減は微妙になるものだ。 ここは、本職の滝沢さんが、その技量を店の方々に伝授するのであろう。 さすがに蕎麦その物の味は文句なく旨く、次回この店を訪れた時にメニューに載っていれば、酒の閉めに迷わず注文する逸品になっているはずだ。 とくかく、蕎麦の香りが抜群にいい。 山海亭で至福のひと時を過ごし、レジで綺麗なお姉さんに「お蕎麦の分もお愛想に入れてくださいね」と言った僕の一言に、お姉さんが困惑した顔で女将さんに相談して、すったもんだした挙句、けっきょくご馳走になって、なんだか変な気持ちのまま店を出る。 |



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山海亭を出て 松本の街をぶらぶら歩くうちに そういえば 今回松本を訪れた大きな理由のひとつに GWに縄手通りに軒を絡める 老舗の「はんこ屋鈴木」で作ってもらった 【潤】の刻印を収める 印鑑ケースを購入する目的を 思い出した。 ビールと幻の酒とサワーでチャンポンになり 地球の自転が3倍になった松本の街を走る。 息を切らして辿りついた縄手通りでは 今まさに「はんこ屋さん」が 店を閉める最中であった。 軒下の商品を仕舞うのに忙しい 店主に駆け寄り声を掛ける。 「すみませ〜ん。刻印入れを下さい」 嫌な顔もせずに店主が選んでくれたのは 山梨鹿皮の重厚な刻印入れだった。 その刻印入れに付属していた インク式の朱肉を 無料で高級本朱肉に詰め替える 店主の姿を目の前にして 僕は古くからこの縄手通りでこの道を営む 職人の気質を実感するのであった。 |



| 縄手通りから 四柱神社の小橋を渡り 女鳥羽川に反射する 縄手通り商店街の灯りを のんびり眺めてから 中町の蔵通りに入る。 古くからこの通りで営む ミシン屋のウィンドウ越しに なんとも微笑ましい 福人形を見つけて写真に収めながら 蔵造りの「黒門」で 新鮮な焼き魚でもつまみながら 軽くレモンサワーでもいただいて 今日は切り上げようかなどと考えていたら 店の向かいに新しく 飲茶の店が出来ていた。 |
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薬膳飲茶「謝藍」と店名を掲げたその店は 開店して間もないせいか まだ店の構えも真新しく 大好物の飲茶の匂いに誘われて 僕は何の迷いもなく 店内に吸い込まれるように 入ってしまった。 案内された2階の座敷は 抑えられたオレンジ色の灯りの中で 綱状の細い暖簾で上手に仕切られ さながら路地裏の秘密基地のような 独特の雰囲気をかもし出している。 |

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何とも僕好みの店の雰囲気に和み 本場のウーロン茶で作った ウーロンサワーを味わいながら さて何を食べようかと 難しい漢字が並んだメニューを眺めたが 「山海亭」でたらふく食べてしまったせいか 大好きな飲茶の名前を見つけても さすがに食欲が湧いて来ない。 とは言っても この店のシェフは 天津のホテルの中華料理部門で 一級料理長を務めていた人物だそうだ。 やはり何点かはその腕前を味わいたい。 などと散々迷った挙句 けっきょくシェフの腕にはあまり関係ない 「軟硬ピータン」と 「スープたっぷりの肉饅頭」を 注文してしまった。 なんだかなあ。 |

| しかし現実として この二品で僕のお腹は 満足するどころか 胸焼けすら感じ始めてしまった。 腹を擦りながら それでもメニューを眺めていたら それを察した女性店員が 胃の消化に良いという 薬膳茶を紹介してくれた。 テキパキと対応する 気持ちの良い女の子だ。 間もなく 苦丁茶(クーディンチャー)と名付けられた 薬膳茶がガラスのポットに入れられて 運ばれてきた。 |
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| 「ポットの中の茶葉が充分開いてから、椀に注いで飲んでくださいね」 女性店員に優しく言われ、鼻の下を伸ばしたまま、ポットの中の茶葉を見つめる。 しばらくすると、初めは蓑虫の葉のように丸まっていた茶葉が少しずつ開き始め、それにつれて湯に色がつき始めた。 「そろそろ良いかなあ…」 なんだかドキドキしながら、ポットから小さな椀に茶を注ぎ、鼻先で茶の香りをかいでみる。 なんとなくミントのような涼しい香りがする。 「さてと…」 口をすぼめて椀の中の茶をすする。 ・・・・・・・・・・ 「ぐぇぇぇぇぇぇっ!」 顔中の部品が全部真ん中に集まった。 「にっげぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」 恐ろしく苦いお茶だ。まるで罰ゲームのように苦い。 「う〜ん…」 ポットの中に、まだたっぷり残っている苦丁茶を眺めたまま、しばらく腕組みをする。 良薬口に苦しと考えるしかないが、腕組みをしているうちに、なんだか胸焼けも治まってきたような気がするから、人間の気持ちなんて単純なものだ。 けっきょく僕は、顔の部品を真ん中に集めたまま、5分掛けて、苦い苦い苦丁茶を最後まで飲み干した。 |

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今宵のシメに飲んだ 苦丁茶のおかげなのか それとも単なる気持ちの問題なのか 何となくすっきりしたお腹を擦りながら まっすぐ宿に戻らず ふらふらと夜の松本駅まで歩き 特急「あずさ」の姿を眺めて 何故だか少し幸せな気持ちになり 木々に囲まれた駅前の広場に 腰を下ろして タバコに火をつけた。 夜の9時を過ぎると 駅前の車の通りもさすがに少なくなる。 松本の夜は意外と早いのだ。 |

| 駅前広場には 槍ヶ岳を開山した播隆上人の 勇ましい石像が 松本の夜に目を光らせている。 なんだか顔が怒っているように見える。 ネオンをバックに 一枚写真を撮ってみたら ますます上人の顔が怖くなった。 「明日こそは早起きし、怠け心に流されずに山に登るのだぞ」 なんだかそんな説教をされているような気持ちになって 僕はタバコの火を消して そそくさと宿への道を歩き始めた。 |





