山形村唐沢そば集落探訪


国道158号線で松本から上高地に向かう途中
スイカで有名な波田の近くに
知る人ぞ知る蕎麦の集落がある。

京都の清水寺の本寺との言い伝えが残る
清水寺へと続く静かな坂道に
約11軒の手打ち蕎麦を食わせる店が軒を並べているが
そのほとんどがいわゆる『蕎麦屋』ではなく
村の住民が自宅で蕎麦を打ち
自宅の客間で訪れた客に蕎麦を出すという
独特の蕎麦集落なのである。

民家の玄関を入り
民家の客間で打ち立ての美味い蕎麦を食う。

小さい頃から秘密の基地が大好きだった
僕のような人間にとってたまらない場所である。






住所:長野県東筑摩郡山形村2030-1(山形村役場)

場所:松本から国道158号線を上高地方面に進み
松本電鉄上高地線「波田駅」の交差点を左折。
「サラダ街道」の標識に従って車で10分。





2004年GWの前半、晴天の下
豊科の里山で遊び北アルプスの展望を満喫した僕は
松本に宿を取った翌日
小高い丘にある穂高の温泉で
安曇野平野の展望を眺めながら
ゆっくりと命の洗濯をし
久しぶりに山形村に車を飛ばして
蕎麦巡りを楽しむ事にした。

安曇野アートラインから国道158号に入り
遠い昔、上高地に向かう途中で
突然足を攣らせて軽微な追突事故を起した
苦い経験を持つ波田の交差点を塩尻方面に入る。





この村を訪れるのは久しぶり。

以前から山形村のゲートはあったが
昔は「清水高原」の名は
ついていなかったと思う。

集落の上に出来た
洒落た宿泊施設の影響だろうか。
ラドン温泉を備えたレジャー施設が
ひっそりと軒を連ねる
この蕎麦村の集落を
ただの観光地に変えてしまわない事を
願うばかりだ。


狭い坂道にぽつりぽつりと
民家そのもののような
手打ち蕎麦の店が並ぶ。

当然ながら
どの店も自分の店で
蕎麦を打っている。

その昔
穂高の帰りに寄り
蕎麦といっしょに
ジュースを注文したら
「ジュースはないけどジゥスならある」と
言い放たれた店も健在だ。(笑)
秋には新蕎麦祭りが開かれて
賑わいを見せるこの集落だが
行楽地から離れている事もあり
たとえGWとは言えども
ひっそりと暖簾を下げている。
この雰囲気がまた良いのだ。

なかには改築し
いかにも蕎麦屋前とした
店構えになったところもあり
やはりそういう店の駐車場には
多くの車が止まっている。

しかし捻くれものの僕は
そういう店には食指が動かない。




店を吟味してゆっくり坂道を上がるうち
そば集落の外れに『山法師』と木の看板が立つ
ひっそりとした店を見つけた。
店の前の駐車場に車はない。

果たして蕎麦の味に人気のない店なのか
それとも微妙にずれた食事時のせいで
客がいないのか判断が難しいところだが
僕の食指が動いた。

駐車場に車を滑り込ませ
玄関のガラス戸を開けて中に入ってみる。


奥の部屋からすぐに奥さんが出て来て客間に通される。
思ったとおり客間には僕の他に客の姿はない。
部屋は綺麗に掃除が行き届いていて
縁側の向こう明るい窓の外には
手入れの行き届いた庭が広がっている。

案内してくれた奥さんにざる蕎麦と山菜の天ぷら
そして瓶ビールを1本注文する。

廊下を挟み台所(厨房)で天ぷらを揚げる
カラカラという音が僕の腹の虫を鳴かせる。

天ぷらが揚がる前に出てきたビールのツマミに
筍の新芽とウドの漬物
そして珍しく採れたという行者にんにくの葉と
椎茸の微塵切りを炒めた物をテーブルに並べてくれた。
炒められた行者にんにくの葉の香ばしい香りが
食欲を益々そそる。

やがてテーブルに出された山菜の天ぷらは
たらの芽、ふきのとう、行者にんにく、日本にんじん、こごみ ・・・。
奥さんが全て教えてくれたが
記憶力の悪い僕はそこまで覚えるのが精一杯だ。

どの天ぷらもさくさくと軽く揚がり美味い!
春の味覚を満喫して
勢いがつきそうになるビールのを止めるのに懸命になる。












そしてお待ちかねの蕎麦を店主のご主人が持ってきた。
「趣味の延長なんですよ」と謙遜するご主人がテーブルに並べた蕎麦を
軽くそば汁につけてすすってみる。

うまい!

信州の山に通い始めてからすっかり手打ち蕎麦の魅力に魅了され
この山形村はもちろんの事
長野、戸隠、穂高、乗鞍、安曇野、開田、美麻など
行く先々で信州の蕎麦を口にしてきた僕だが
この店の蕎麦は正直これまで味わった事のない美味さだった。

一口噛むと口の中に
何ともいえない蕎麦の風味と甘みが広がり
ついつい無口になって
淡々と蕎麦をすすってしまった。

ご主人が言うには
昼夜の寒暖の差があるほど美味い蕎麦が育つという。
標高が800メートル近くあり
蕎麦畑がその斜面に広がる山形村の地形は
そんな美味い蕎麦の条件にぴったりなのだそうだ。

「まだ出来て間もない店なんで唐沢のそば組合にも入っていないんですよ」

趣味で15年ほど蕎麦を打ち
定年退職を期に蕎麦屋として店を起したという
ご主人が遠慮深げに言った。

いろいろ難しい事情もあるのだろうが
蕎麦の栽培から打ち込みまで
全てひとりでこなすというご主人の蕎麦は絶品。

「本当に美味しいですよ」

そば湯を飲み干し
そう言った僕の顔を見て
ご主人が子供のような顔で笑った。








ご主人と奥さんに見送られ
大満足のうちに『山法師』を出て
もう一軒蕎麦の店に入る前に
腹ごなしに散歩をすることにした。

山法師のご主人に進められるまま
そば集落から7kmほど登ったところにある
清水寺(きよみず寺)まで車を飛ばす。

坂道の右に広がる
蕎麦畑と北アルプス前衛の山並が綺麗だ。

鬱蒼とした森林の中
ウィンウィンとエンジンを鳴らしながら
納車してから10年目を迎えた僕の愛車が
細い林道の坂道を
登っていく。





標高1200メートルに建立された慈眼山清水寺は
静寂な森の中にあり
辺りには荘厳な雰囲気が漂っている。
 寺伝によれば天平元年(729年)の春
釋行基が自ら千手観音の尊像を彫って
安置し創設したと言われている。

その後坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際
本村清水寺を参詣して征伐の成功を祈願したところ
霊験あらたかであったため
本村清水寺の千手観音を京都へ移し
それが京都東山にある清水寺になったと伝えられている。

その真偽の程は定かではないが
現在の本尊は
清水様式と呼ばれる千手観世音菩薩像で
これは京都清水寺の
千手観世音菩薩像と同じ様式で
日本に数体しかないのだそうだ。

仁王門から山門に延びる
静まり返った参道を歩きながら
松本の外れの小さな村に
こんな逸話の残る寺の存在を知った僕は
何だかとても得をした気持ちになった。









逸話の残る静かな清水寺で
30分ほどのんびりし
再びそば集落に下りて次の店を探す。

坂道に面して蕎麦粉十割を売り物にする
店構えの明るい店に食指が動くが
どうも暖簾を潜る気持ちになれない。

そのうち
メインの坂道から1本下がった路地裏に
今にも崩れ落ちそうな古い家を見つけた。
『手打ちそば』ののぼりが立ち
小さく『かわさわや』の看板がある。

「これだよ、これ」

僕はにやにやとひとり言を言いながら
ハンドルを切って
狭い路地に車を入れた。



暖簾が下がっていなければ古い民家そのものの玄関に入り
「こんにちは」と普通の飲食店では
おそらく一生言わないであろう声を掛ける。

「は〜い」と返事が聞こえて家の中ではなく
玄関から割烹着姿のおばちゃんが入っていた。
どうやら洗濯物を干していたらしい。(笑)

通された部屋は予想通りのごくごく普通の民家の客間であり
ピタリと閉められた襖が傾いている。
例によって他に客はいない。

「メニューには手打ちそば一人前(二枚)1000円」と書いてあるが
こだわることはなく一枚で注文してもかまわないそうだ。

しかしこれまでの経験で
二枚で一人前とする蕎麦の店の多くが
実際に蕎麦が出て来くると
「なんだい、なんだい。一人前をふたつに分けて出しただけじゃん」
と言いたくなりたくなるような一枚の量だったのを思い出して
「二枚ください」と僕は気楽に言った。








おばちゃんが蕎麦を打ちに台所に下がって
古い客間にぽつんと一人ぼっちなった僕が
傾いた襖の向こうを覗きたい衝動を抑えながら
部屋の中をキョロキョロ見回すと
床の間に雑然と置かれた水晶やキジの剥製の前に
立派な一枚板が飾られており
なにやら綺麗な字が彫られている。

最近めっきり視力が落ちて
その字を読み取る事の出来ない僕は
興味津々の眼で畳の上をズリズリと膝歩きで床の間に近づき
その文句を読んでみた。

そこにはこんな素敵な文句が書かれていた。


都はるみ 涙の連絡線

・・・


いつも群れと〜おおぶ〜 かも〜め〜 さあああえ〜 ♪

僕はのんきに一節唄いながら
大人しく自分のテーブルに戻った。







やがて打ち立ての蕎麦をおばちゃんが運んできた。
久しぶりに田舎の親戚の家に遊びに行き
『まずはともあれ冷えた蕎麦で喉を潤しなさいな』ってな感じである。

この雰囲気が僕はたまらなく好きだ。

テーブルに置かれた蕎麦は珍しいことに皿に盛られている。
蕎麦に必要な水分を切らさないための工夫なのだそうだ。

それよりも驚いたのは一枚の蕎麦の量だ。

とても一人前をふたつに分けた量ではない。
どうみても二人前である。

大の男ならばこの程度の量はペロリと平らげるのだろうが
もともと少食でしかもすでに他の店で一枚食べている僕にとってはきつい量である。

出来れば3、4軒蕎麦のはしごをしてやろうと目論んでいた僕なのだが
この二枚の皿に盛られた蕎麦を目の前にして
「今日はこれで打ち止め」とあきらめざるを得なかった。






肝心の蕎麦は腰があり、喉越しも良い。
良い意味でごく普通の信州の田舎蕎麦である。

そば汁は少し薄め。
付け出しで出てくる山菜のおひたしが新鮮で美味い。

この辺では当たり前なのだろうが
付け出しは全てサービスでお金は取られない。
町の飲み屋で頼みもしない付け出しを勝手に出され
しっかりその料金までレシートに書かれて
どこか腑に落ちない気持ちになっている者にとっては
小さい事だが嬉しい気持ちになってくる。

本当に田舎のおばちゃんの家で昼飯を食っている気分になってくる。

「おばちゃん、明日は上高地に行くから今日は早く寝るね。明日の夜も蕎麦でいいや」

なんて言葉が口をついて出てきそうだ。






『からさわや』の二枚のざる蕎麦でダウンし
当初の計画だった
『山形村唐沢そば集落征服作戦』は
わずか2軒ですごすごと撤退となってしまった。

再度のリベンジを誓い
僕は膨れる腹を擦りながら山形村を後にした。

松本に戻る道の途中
サラダ街道の畑の脇に開かれた野菜の直売所で
今度は青々とした新鮮な野菜達と果物達が
僕の食指を刺激した。




 その後 探索した店

母と新穂高側から西穂高岳独標に登った帰りに立ち寄った店。他の店と同じように客室は畳敷きの和室で、部屋の中に茶箪笥や旧式の扇風機などがあり、田舎の家そのものといった感じの造りである。4畳から6畳程度の部屋が数部屋並ぶ。メニューには、蕎麦の他に天ぷらやキノコおろしなどが並んでいるが、時期にもよるのかもしれないが、こちらはほとんど予約制。予約がない場合、基本的に蕎麦しか食べることが出来ないのがちょっと寂しい。一枚500円のもり蕎麦は腰が強くかなり太めで食べ応えがある。出汁の効いた汁はかなり濃いが辛味の効いたネギに合う。

KKCFの仲間と松本アルプスを縦走した打ち上げに寄った店。畳敷きの客室は他の店に比べてかなり広め。天ぷらの盛り合わせ(650円)は、キノコ類が中心だが、必ず特大の海老が一匹つき、カラリと軽く揚っていて食感が良い。この店の特色は、数々の馬肉のサイドメニューがあることで、馬刺しを初めとして、馬モツ、馬煮、馬スジなど、基本的に予約することなく注文できる。値段は全て300円程度。一番高い馬刺しでも450円という安さだ。蕎麦はもり蕎麦が650円。細めの麺で歯応えのある、いわゆる田舎蕎麦だ。付け出しで出てくる野沢菜の醤油漬けが美味い。

唐沢そば集落の入口に建つ老舗的存在の蕎麦屋。改装されて、テーブル席と座敷を備えた蕎麦屋らしい造りの店内になったため、蕎麦集落独特の雰囲気はあまり感じられない。蕎麦はバランスの良い二八蕎麦。蕎麦粉十割にこだわる人もいるが、ほどよい喉越しを感じるためには、ある程度のつなぎがあった方が良いと僕は個人的に思っている。蕎麦の他に岩魚や山女など、川魚の塩焼きが常時メニューに載っているのも嬉しい。ざる蕎麦は一人前2枚で1000円。もちろん1枚だけ注文しても問題ない。蕎麦集落では珍しく午後の部があり、午後5時から夜9時も営業している。

蕎麦集落のメイン・ストリート(?)から一段下がった唐沢川沿いに建つ民家風の蕎麦屋。唐沢川の水を利用して水車を回し精米、製粉業を営んでいた名残のある店だ。現在の女将さんは三代目というから蕎麦を打つ年季は入っている。皿に盛られた蕎麦の色は濃く、細めに切られているが、腰はちゃんと残っていて歯応えはとても良い。自家栽培の漬物が前菜として、ふんだんに振舞われるのが嬉しい。改装された座敷は木の香が漂い心地よい。



唐沢そば集落の店一覧
丸仲食堂 0263-98-2317
かみじょう 0263-98-3020
弁天荘 0263-98-2350
根橋屋 0263-98-2313
そば幸 0263-98-2075
はやし家新宅 0263-98-2294
美佐和 0263-98-2333
水舎 0263-98-2345
ももせ屋 0263-98-2235
からさわ亭 0263-98-2297
山法師 0263-98-2418
からさわや 0263-98-2343



注意 信州の農村にはその昔、客人が訪れると食べきれないほどの漬物と打ちたての蕎麦を出す風習があったようです。レポートの中にも書きましたが、唐沢そば集落はそういった風習の延長上にある蕎麦屋の集まりであり、あくまで家庭的な雰囲気の中で蕎麦を食べる事を楽しむ場所です。したがって、店内の雰囲気、サービス等も含めて総合的に味を判断する方には不満の残る場合もありますのでご了承ください。
山形村の公式ホームページはこちら





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