![]() ![]() 元箱根→箱根峠→兜石坂→接待茶屋跡→山中城跡 →笹原一里塚→錦田一里塚→三島大社 (ゆっくり4時間程度) |
| 小田原の駅が浸水するほどの雨の中、神奈川県の箱根湯本から箱根峠を越えて静岡県の三島に至る、旧東海道32kmの道程、いわゆる箱根八里の石畳を勇んで歩きながら、ちょうど中間点の箱根芦ノ湖で、当日の宿が見つからずに泣く泣くバスに揺られて振り出しの箱根湯本に戻るという、文字通り双六のような旅を終えてから2週間後、僕は歩き残した石畳の道を完歩すべく、芦ノ湖の湖畔に再び立っていた。 梅雨の只中、前日の夜、熱海の宿のテレビで見た天気予報は相変わらずの傘マークだったのだが、以外なことに見上げる空には青い部分さえ見える。先々週そうだったように、再び雨に濡れながら、つるつるに滑る石畳の上を歩く覚悟をしていた僕にとっては実に嬉しい誤算である。 歩き残した距離は約16キロメートル。芦ノ湖から箱根峠を越え、更に幾つかの集落を過ぎて静岡の三島に至る道である。 前日泊まった熱海の宿で、焦る事さえ諦めてしまうほど思い切り寝坊をし、かえって気持ちが落ち着いてしまった僕は、湯本から乗ったバスを元箱根で降りて、しばらく芦ノ湖畔で沖に消えて行く遊覧船を眺めたりしてぼんやりしていた。 |

| 思わぬ好天に誘われたのか、芦ノ湖は2週間前の閑散とした寂しさが嘘のように賑わっており、旧街道の杉並木や関所跡といった今や観光地化した史跡は人の群れで溢れていた。 人混みの苦手な僕は、ひとつ大きく背伸びをして、人の群れを横目に見ながら、国道に付いた歩道を歩きはじめた。 あくまでも箱根旧街道の完歩にこだわるのなら、たとえ人が群れていようが、杉並木を行くのが本道なのだろうが、僕には人の流れのひとつになる気持ちはどうしても湧いてこなかった。 コンクリートの道をしばらく歩いて現れた、箱根関所跡の広いバスターミナルにベンチを見つけて、僕は早くも腰を下ろし、靴の紐を緩めてザックから水筒を取り出した。 今まで僕の水筒の中身といえば、氷を詰めた中にコンビニで買ったお茶を注いだだけの、お手軽なものが定番だったのだが、今日はちょっとばかり違う。特別に仕入れた水出しのアイスティに砂糖を加え、更にスライスしたレモンを浮かべて、細かい氷を詰めたものを用意してきたのだ。ものぐさの僕にしては、恐ろしく手の込んだ素敵な飲み物である。 水筒のキャップを開け、良く冷えたアイスティをマグカップに注ぐ。うきうき顔でマグカップを口に寄せ、良い香りのするアイスレモンティを口に含む・・・。 0.4秒後、僕は口に含んだ全てのアイスレモンティを吐き出した。 「うえぇぇぇぇぇっ!しょっぺぇぇぇ!」 砂糖と塩を間違えたらしい・・・。 僕は途端に悲しい顔になり、しょんぼりと水筒をザックにしまって、悲しい顔のまま売店でペットボトルのお茶を買い、そして悲しい顔のまま、とぼとぼとバスターミナルを後にした。 |

| 再び国道脇の歩道を歩き 駒形神社の鮮やかな紅の鳥居を左に見て芦川に入り 箱根外輪山歩道を右に折れる。 石畳の入口に数体の古い石仏が並んでおり 旅人を歴史の道へと導いている。 一番手前の石仏は頭が落ちている。 頭を無くした石仏には 乾いた苔が痣のように自生しており 石塔石仏と峠道の歴史の古さを物語っている。 |
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道の両側には 杉の巨木が天を突いていて その年輪は樹齢350年を数えるという。 杉に陽の光りを遮られた石畳は 湯本から芦ノ湖に向かう道の物よりも 石が丸みを帯びており 石につく苔の緑もずいぶんと濃いようだ。 登りは緩やかだが 前日に降った雨をたっぷりと吸った 苔の道は滑りやすく ストックをザックから外して 手にすることを億劫がった僕は 何度か足を滑らせて手をつきそうになった。 |
| しばらく歩くと 石畳は国道と交差して その下を潜る事になる。 国道には 濡れた路面を駆って多くの車が行き来しており 石畳の道から見上げるその光景は まるで過去と現在が交差する 十字路のようである。 得体の知れない感慨に耽りながら 滑る石畳を登ると 道はやがて木の階段となり 薄い陽の光りに導かれてそれを登りきれば 先ほど潜ったはずの広い国道に飛び出す。 箱根峠の道標を見て 舗装された道を左に歩くうち 何時の間にか霧が湧き出し 眼下に見えていた芦ノ湖の湖面を覆い隠した。 湿度の高いはずのこの季節だが さすがに峠に吹き上げる風は冷たい。 |
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霧雨のような細かい雫で頬を濡らしながら歩いていたら 国道脇に箱根旧街道を記念する広場が現れた。 広い駐車場の周りには 平らな石が行儀良く並べられた 真新しい石畳の遊歩道が続いており その脇にはどれも一度は名前を聞いた事があるような 芸能界を始めとした有名人の言葉を刻んだ モニュメントが幾つも建っている。 立ち止まって そのひとつひとつの言葉を読み取ってみたが 残念ながら僕は 刻まれた文字から感銘を受ける事は出来なかった。 |
| 遊歩道の外れにある東屋に腰を下ろして僕はタバコを1本だけ吸い 駐車場に停まったワゴン車から ピクニックセットを持って降りてきた家族連れと 入れ違うように席を立って再び土の道に入った。 |
| その昔 小田原征伐に向かった豊臣秀吉が 巨岩の上に脱いだ兜を置いた事から その名がついたと伝えられる 兜石坂から僅かに道を逸れたところに 遠く伊豆の山並みを見渡せる笹原があり そこに井上靖の記念碑が建っていた。 近づいてみると 記念碑には 夜空に北斗七星が燦然と輝く様を歌った 「北斗闌干」という 味わいのある文字が刻まれていた。 |
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| 旧街道に戻り、昨日の雨にぬかるんだ足元を選んで歩くうち 何時の間にか道幅が狭くなり、ハコネダケと呼ばれる背の高い笹が道の両脇から覆い被さって来た。 霧の中に行く先が消えるその道は、まるでいにしえの時代へのタイムトンネルのように見え 僕は少しだけ前に進む事をためらった。 |


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その昔 街道を行く旅人に 無料で茶や水を与えたという 接待茶屋跡を右に見た後 国道1号線の拡張工事によって 本来あった兜石坂から移動されたという兜石を眺め やがて街道は明るい尾根道となる。 オニアザミの向こうに 函南の原生林と伊豆山の稜線が浮かび 旧街道を歩きながら 僕は久しぶりに 山を歩いている気持ちになった。 |
| 中山新田の道標を見て 乾き始めた石畳を鼻歌を歌いながらのんびり歩くうち 徳利が浮かび出た小さな墓が現れた。 横に説明板があり 「雲助徳利の墓」と書かれている。 西国大名の剣道指南役であった松谷久四郎という武士が 酒が元で国外追放となり 流れ着いた箱根で雲助の仲間となった。 |
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久四郎はもともと文武両道の達人だったため 雲助を助けて雲助達の信望を集め 彼が亡くなった後 雲助仲間が金を出し合って 墓を建てて供養したという。 どうせなら杯もいっしょに彫ってやればよかったのに などと要らぬお世話を頭に描きながら 僕は徳利の墓に向かって 軽く手を合わせた。 |
| 雲助徳利の墓を見ると道は再び国道に出る。 国道を横断した先に中山城跡の入口があり ガイドブックを手にした ディパック姿の女性が石の階段を上がろうとしている。 国道脇に一軒の茶屋があり 軒先の毛氈の上に三度笠と合羽がさり気なく置かれている。 花より団子の僕は 国道を横断することなく 迷うことなく茶屋の暖簾をくぐった。 |

| 「竹屋」の屋号を持つ趣きのある茶屋で まだ湯気が立っている 出来立てのよもぎ団子を美味しく食べ 団子を運んできたお姉さんに見送られて 国道を左に行く。 この後 旧街道は整備された石畳と 国道沿いについた歩道を交互に歩く事となり 緩やかに過去から現代へと 風景を移して行く。 国道沿いの集落には 軒先に犬を飼っている家が多く 犬が大好きな僕は それを見つける度に足を止めて 犬とじゃれあってしまい 旅の時間は刻々と過ぎていった。 |
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| 小学校の校舎が現れ、その脇を抜けて坂を下ると 松並木に囲まれた真新しい石畳の道になるのだが 道の横には住宅が立ち並び いよいよ町の匂いが強くなってくる。 やがて東海道線の線路を横切った先で 見覚えのある三島の町並みが現れて なるほど先ほどの線路こそが いにしえの旧街道と現代との分かれ道であったのかと 納得させられるのであった。 |

| 参道の面影を僅かに残す商店街を抜け 箱根八里の終着点と位置づけた三島大社に参拝して 僕は石段に腰を掛け ペットボトルにわずかに残ったお茶を口に含んだ。 大雨洪水警報の中を歩き始めた箱根旧街道、箱根八里の道程を 2度に分けたとはいえ 歩き通した充実感に僕の心は満たされていた。 石段に座ったまま煙草を口に加え 目の前に行きかう人々をぼんやりと眺めた。 スーパーマーケットの袋を提げて 忙しそうに通り過ぎるおばちゃん。 金色の髪をなびかせて 自転車をこぐ高校生。 携帯電話を耳にあて 大声で笑う女の子。 その中に一瞬 三度笠に合羽を羽織った自分の姿を見た気がした僕は クスリと笑って頭をかいた。 今日は三島の街に泊まって 旅の余韻に浸ることにしよう。 そう思って石段から腰を上げた僕の頬に ぽつりと雨が落ちてきた。 僕はザックから傘を出すこともなく 降り始めた雨に濡れたまま 三島駅へと続く コンクリートの道を歩き始めた。 僕の鼻先に 雨に濡れた石畳の 苔の匂いが まだ残っているような気がした。 |
