光城山 桜の薗




国道19号野田交差点→光城山登山口駐車場→さくら池→光城山→林道(往復)

(往復3時間)





上高地方面から分岐する安房トンネルを過ぎて、10数年振りに訪れた飛騨高山でゆったりとした時間を過ごし、再び松本に戻って馴染みの呑み処で歓待を受け、次から次へと雪崩のように振舞われる「幻の地酒」の攻撃に滑落寸前となりながらも、なんとかその日の宿に辿り着いた翌朝、僕は今回の旅のもうひとつの目的地に車を走らせた。

光城山。

標高911メートルの小さな里山だが、時期が合えば山頂に続く尾根道を、数千本のソメイヨシノが彩りを添える魅力的な山だ。
2年前の5月。この山を訪れたときには微妙に時期が合わず、山頂直下の芝生の広場にわずかに八重桜が花を開かせていただけだったが、今回はタイミングが良さそうだ。出発前にインターネットで仕入れた情報によれば、長野地方の今年の桜の開花は例年よりも遅く、今がちょうど見頃とのことである。

コンビニに寄り、朝食のサンドイッチよりも先に胃薬を手にした僕は、松本の駅前から国道19号線に入り、春の香り漂う安曇野で田園を抜けて、光城山の登山口を目指してアクセルを踏んだ。







光城山の登山口は少しばかりわかり辛い場所にある。国道19号線沿いを走るJR篠ノ井線の田沢駅高架をくぐれば良いのだが、その道が車一台がやっと通れるほど狭い。2年前にこの山を目指した時は、何度か通り過ぎてしまい、登山口に辿り着くのにずいぶんと苦労したのだが、今回はそんな心配は無用だった。田沢駅に近づいた頃、線路の向こうになだらかに突き上げる新緑の山の斜面に、まるで桜色の鱗を飾った大蛇が神の待つ山頂を目指すように、つづら折りの桜並木が続いていた。すなわちそのつづら折りこそが、光城山の尾根道であった。



2年前に訪れた時には閑散としていた光城山登山道の駐車場だが、さすがに頃合の時期というだけあって、朝の9時にはすでに満車の状態になっていた。やむなく前を行くタクシーに習って、駐車場手前の路肩に車を止める。

車を降りて後部座席に放り込んでいた小さなハイキングザックを引っ張り出し、布製の登山靴に穿き替えてからひとつ背伸びをする。

見上げる空には雲ひとつない。

2年前の春もそうだった。

天下無敵の雨男を誇る僕なのだが、どうやら光城山に住む神にだけは気に入られているようである。



駐車場の脇から続く
歩きやすい
なだらかな斜面を登る。

考えてみれば
土の道を歩くのは
久しぶりである。

春を知らるために
一瞬のうちだけ咲いて
そして散る
桜の花びらを
踏んで歩くのは忍びないが
しかしそれこそが
春の里山を歩く
贅沢でもある。



歩き初めてしばらくの間
麓に近い尾根道を覆う桜は
すでにその盛りを終え
すでに葉桜になりはじめていたが
ゆるやかな尾根道を右に折れ
そして左に折れて
少しずつ標高を上げるに従って
登山道を覆う
桜のトンネルの彩りが
鮮やかになってきた。

薄く色づいた白と
鮮やかな黄色の花びらが
山の風に揺れて
仲睦まじ気に戯れている。

小さく可憐なワルツを眺めながら
僕は足を止めて
大きくひとつ深呼吸をした。







鮮やかな桜の薗の向こうに
凛々しく聳える
残雪の常念岳を眺めながら
のんびりと歩を進めるうちに
何時しか
前を行くふたり連れの
女性に追いついた。

ふたり合わせれば
おそらくその歳の数は
ゆうに130は越えているであろう
ふたりの足元は
ゆっくりではあるが
しっかりしていて
僕は追い抜くことをやめて
その間隔を狭めることなく
歩みを緩めた。

おそらく木曽辺りで
お土産に買ったであろう編み笠が
なんとも言えず魅力的だ。




             





それにしても
今日は
なんて素敵な天気なんだろう。

北アルプスを伝い下り
安曇野平野を越えて
そしてこの山の尾根に
吹き上げてくる風の
なんと心地よいことか。

風にその土地の香りなど
移るはずもないが
しかし
僕の頬に触れる優しい風は
たとえ目を瞑っていたとしても
それが安曇野の風であることを
実感できるだろう。









光城山の尾根道は
あくまで緩やかで
登山と言えるほどの山ではない。
しかし僕は
そんな土の道が大好きだ。

重いザックを背負い
汗を滴らせ
懸命に歩を進める登山は
僕に限って言えば
一年に2度か3度あれば充分だ。

のんびりと口笛を吹き
のんびりと鼻歌を歌って
空を見上げ
土の柔らかさを足の裏に感じ
都会では味わうことのない
優しくて冷たい風に
静かに吹かれることができれば
僕は満足なのだ。

後は山を下りた後に
柔らかい肌触りの温泉と
そしてよく冷えた酒があれば
それでいい。






光城山は
その山頂直下に
桜の木に覆われた
カヤトの広場がある。

おそらく
鎌倉時代に安曇野を治めた
光氏によってこの山に築かれた
城の名残りなのであろうが
桜の盛りには
ここが格好の花見の席になるらしい。

今日も
カヤトの広場のあちこちに
ビニールシートを広げて
宴を開く家族連れの姿が見える。

僕はその姿を横目で見ながら
山を下りてから口にするつもりの
信州の地酒のことを頭に描き
その中に浮かばせようと考えて
舞い散る桜を
手のひらを広げて追った。




  賑やかな宴が開かれている
カヤトの広場を過ぎて
最後に少しだけ
階段状の急登を頑張れば
ここに建っていた城が
安曇野一帯への
ノロシ場であったことの名残を教える
此の古峯神社が
こんもりと盛り上がった土の上に建つ
光城山の山頂に達する。

古峯神社は
もちろん火の神を祭る
神社である。
  









遠く鎌倉時代から、ここにあった城と共に、安曇野の平野を見下ろしていたであろう見事な赤松越しに、その頂きにまだ真っ白な雪の冠を被った常念岳を眺める。

好天の日、麓からこの山に登ってきた登山客の誰もが、歓声を上げずにはいられない絶景ポイントである。

しかし、2年前の同じ時期にこの山を訪れた僕は、そんな山頂の景色よりも、もっと素敵なポイントを知っていた。
光城山のすぐ裏手に、麓から繋がる林道を長峰山の頂きに向かう途中に、エアーポケットのように山の木々が突然途切れた斜面が東に広がり、そこから有明山を前衛にした北アルプスの全容を拝むことができるのだ。

小山の上に建つ古峯神社に駆け上がって頭を下げてから手を合わせ、僕は鼻歌を歌いながら、光城山の山頂を後にした。




光城山の裏手に通る林道を歩いてわずかに5分。

そこには期待に違わぬ絶景が
まるで大きな手を広げるように僕を待っていてくれた。









狭いカヤトの斜面に腰を下ろし
贅沢な景観を独り占めにして
僕は湯を沸かし
下界ではほとんど口にすることがない
苦いコーヒーを淹れて飲んだ。

この場所からは前常念が
常念岳本体の真正面に重なるため
冠雪を被った常念岳が
完璧な三角錐に見える。

里山とはいえ
標高900メートルを越えた
5月の安曇野の風は冷たい。

沸騰した湯で淹れたはずのコーヒーが
わずかな間にぬるくなった。

それでも僕は
時を早めることなく
のんびりとコーヒーを飲んだ。

タバコの煙が
長峰山の方から吹いてきた風に揺れて
山裾に消えた。


なるほど
長峰山には向かわずに
今日はこれで山を下りろと言うのか。


それもいいだろう。


でも

もう少しだけ

この小さなカヤトの斜面で

ゆっくりと流れる時間を

楽しませておくれ。





僕は

すっかり冷たくなった

コーヒーを啜りながら

胸ポケットからもう一本

タバコを取り出して

のんびりと

火をつけた。










長峰山からのパノラマ展望はこちら



2006年5月3日


手打ち蕎麦「たきざわ」に進む


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