巣雲山



JR宇佐美駅→巣雲山登山口→阿原田峠→巣雲山→峰の尾根→生仏の墓
→行者の滝→峰集落→JR宇佐美駅
(約4時間30分)




年末に登るつもりで伊豆の稲取に宿を取りながら、悪天のため断念した巣雲山に再びチャレンジすることにした。
巣雲山は大仁町南部から伊東市北部にかけての丘陵地に並ぶ、高塚山、長者原、巣雲山の休火山群の一角を占める山であり、地元小学生の集団登山のコースとして知られている。これらの山の連なりが噴火したのは、今から13万年も前の事であり、あくまでもなだらかなその山容からは、かつて大爆発を起こした火山としての面影などは望むべくもない。しかし、熱海から繋がる伊豆スカイライン側から見上げる山の斜面には、今も火山帯の断面を見る事が出来る。

海抜の低い伊豆の山の例に漏れず、巣雲山の標高は580メートルと低い。しかし広い草原状の山頂からは、目の前に裾野を広げる富士山を始め伊豆半島の眺めがすごぶるよく、また雲がなければ遠く南アルプスの白い頂を望む事が出来る好展望の山である。



伊豆半島といえば、普通の人が思い浮かべるのは海であり、そして海といえば季節は夏だ。しかし、もともと海にしろプールにしろ、水に入るという行為にまったく楽しさを見出す事の出来ない僕にとって、伊豆半島にはそういったイメージはなく、したがって、僕がこの地方で活動するのはほとんど冬である。

僕にとって伊豆とは、冷たく澄んだ空気を吸いながら青い空の下で低山を歩き、白い冠を被った富士山を眺めて、そして下山後には旨い魚と温かい温泉が待っている場所なのである。

そんなわけで正統派の山ヤ達が雪を求めて白い頂を目指す年の初め、僕は捻くれ者のように下りの電車に飛び乗った。



熱海からJR伊東線に乗り換え
午前8時前に降り着いた
宇佐美駅は
土曜日の早朝という事もあってか
小さな駅の待合室には
ほとんど人影はなく
見事なまでに晴れ渡った
空の下
小ぶりな駅前のロータリーには
漁港の町らしく
潮の香りが満ちていた。



駅前から海岸まで真っ直ぐ伸びる商店街を脇に見て左折し、小さな踏み切りを渡るとすぐに道は三方に別れる。
インターネットで調べた資料によれば、要所に指導標が立っているため迷う事はないと書かれていたのだが、いきなり行き詰まってしまった。際目付けの方向音痴の僕が、こういった場合に正しい道を選択する自信は皆無に近い。
分かれ道の手前にコンビニエンスストアがある。仕方なく僕は店に入って肉マンなんぞを買いながら、レジのおばちゃんに巣雲山までの道程を聞いた。

おばちゃんの話に寄れば、けっきょくどの道を行ってもやがては合流してひとつの道になり、登山口に辿り着くらしい。

「向かって一番左の道がほとんど直線で登山口に向かっているから解りやすいよ。それにしてもこの時期、ここから巣雲山を目指す人は珍しいね。何処から来たの?まあ横浜から・・・。物好きだねえ・・・」

およそコンビニの店員とは思えない軽口を叩くおばちゃんに曖昧な笑顔を返して、僕は肉マンがふたつ入った紙袋をぶら下げて店を出た。



コンビニのおばちゃんが、宇佐美駅から巣雲山に登ろうとする僕のことを『物好き』と言ったのにはそれなりの訳がある。
昭和37年に開通した伊豆スカイラインは、熱海から天城峠まで伊豆半島の山々の山腹を縫うように縦走しており、そのため、それまで山麓の駅から長い車道歩きの末たどり着いた登山口から、さらに山道を歩いて到達していた展望抜群の山頂に、いとも簡単に登れるようになってしまったのだ。

これまで僕が登った、玄岳、金冠山、達磨山、十国峠、そして今日登ろうとしている巣雲山も、伊豆スカイラインのサービスエリアや一時駐車場に車を止めれば、いずれも散歩程度の時間で、目前に富士山を望む山頂に達することが出来るのである。

麓から汗を流して山の斜面を登り、頂上まであと僅かというところでいきなり整備された立派な車道に飛び出すのという状況は、確かに興醒めである。これまで登った伊豆の山々も、効展望で名を馳せていながら登下山の途中で数えるほどの登山者としか出会わなかったのも頷ける。伊豆の山で、僕が唯一多くの登山者と出会ったのは、天城峠を越える際に登った万二郎、万三郎だけである。

しかし、僕はこれまでマイカーを使って伊豆の山にアプローチしたことは一度としてない。
山頂までの道程が長いほど、その頂で出会う景色の素晴らしさが心を打つ度合いは高いのだ。



宇佐美駅から巣雲山を目指す場合、駅前から登山口までは一時間ほどの車道歩きになる。

コンビニで買った肉まんを頬張りながら教えられた坂道を歩くうち、道幅は広くなり、やがて左に大きな中学校が現れ、その前の歩道をテニスのラケットを持ち、揃いのウエアを着た生徒の群れがこちらに向かって走ってきた。先頭の生徒が大きな声で掛け声を掛けている。

広い歩道を僕は登り、彼らは下り、やがてすれ違う時に見た白い息と紅潮した頬に、何故かとても懐かしい気持ちになり、彼らが走り去った後、僕は足を止めて振り返り、しばらくその後姿を見送っていた。



伊豆半島の山に登る時
何時ものことながら
最寄り駅から登山口に至る車道は
右に左に立派な住宅がありながら
その傾斜は驚くほど急であり
一月の冷たい風の吹く中
僕は額に汗を浮かべて
登山口を目指した。

しかしキョロキョロと周りを見渡しながら
山の懐に至る道を登れば
古い民家の軒先で居眠りしていた
犬を起こして吼えられたり
あるいは漁港の町らしく
家族で魚の開きを
セッセと天日干しする
光景を見たりして飽きることはない。







それにしても
今日の空の蒼さはどうだ。

額の汗を拭いながら
見上げれば
そろそろほころび始めた
梅の花が
真っ青な空をバックに
なお
いっそう映えている。


そして
住宅も疎らになった頃
息を切らせて登った
アスファルトの斜面を振り返れば
陽の光にキラキラと光る
茶畑の向こうに
見事なまでに
海と空との境が浮かび上がった
海原が広がっているのである。



宇佐美駅から歩き始めて1時間
「巣雲山ハイキングコース」の道標を右に見て
道はようやく土の登山道となる。

何時もの事ながら
踏む道の感触が
柔らかくなるとほっとする。

巣雲山山頂までは
ここから約1時間30分の道程だ。

僕は道標の横にザックを下ろし
タバコを一本吸った後
ザックに括り付けていた
ストックを伸ばした。






冬の低山歩きの魅力は
澄んだ空気と蒼い空
そして
そこに広がる展望だけではない。

登山靴の底を通して
足の裏に伝わる
冬の山道ならではの土の感触には
独特の楽しさがある。

登山道を埋め尽くす
乾いた枯葉を踏む
サクサクとした感触
あるいは露をたっぷりと含んだ
柔らかい枯葉を踏む
絨毯のような温かい感触。

そして
昼なお融けることのない
霜柱を踏み抜いて歩く
快感

・・・



土の道に入ってしばらくは
なかなかの斜度を保つ急登が続く。

しかし、1時間の車道歩きで
身体は何時の間にか歩くことに対して慣れており
それほどの苦しさを味わうことなく乗り切ることが出来る。

やがて山道の西側が大きく開けて
眼下に宇佐美の町並みと太平洋が大きく広がった。

山の斜面をつたわって吹いてくる海の風が気持ち良い。








急登を過ぎるとしばらくは
ほとんど斜度を感じることのない
なだらかな登りの峠道となる。

松の林を過ぎ
やがて現れたヒノキの群生は
温かい陽の光りに照らされて輝き
いずれも山の斜面に対して
垂直に生え
やがて太陽に向かって
その角度を変えて
天に向かって伸びている。

その様子はまるで
かつて地球を闊歩していた
巨大草食竜の長い首のようだ。




鼻歌を歌い
それに合わせて
リズミカルにステッキを突きながら
尾根道を1時間ほど歩くと
道は唐突に伊豆スカイラインに飛び出す。

阿原田峠である。

アスファルトの道の横には
数台の車を止めるスペースがあり
木の標柱に
「阿原田峠登山道」と書かれている。

ここから巣雲山の山頂までは
30分のハイキングコースである。



阿原田峠で右に伊豆スカイラインを見て
再び登山道に入る。

スカイラインに沿うように
なだらかに登り下りを繰り返す
尾根道をしばらく行き
「桜台見晴台」と名付けられたコルと過ぎると
急な階段の道が現れ
見上げる先の
空の面積が大きくなって
山頂が近いことを
教えてくれる。




きつい階段を登りきると
いきなり林を抜けて
目の前に広々とした
草原が広がる。

気持ちの良い高まりの先に
コンクリートの建物が小さく見える。

巣雲山山頂に建つ
展望台である。

カヤトの道の左右には桜の木が
空に向かって伸びており
花の盛りの春になれば
さぞかし華やかな
山頂の景色が望めそうだ。



     



さえぎる木々がまったくない巣雲山の山頂は
冬の風が身を切るように痛かった。

これだけの晴天なのに
僕以外の登山者は
カヤトの草原の桜の木の下で
風を避けるように食事をしている
単独の女性がいるだけだった。

僕は展望台の下にザックを放り投げ
身体に吹き付ける冷たい風に背中を丸めながら
螺旋状の階段を駆け登った。




真っ青な空の下
展望台から見渡す展望は
まさに360度の大パノラマだった。

箱根の山から相模湾。

東には駿河湾と五つの峰が聳える曲者の沼津アルプス。





さらには昔
土砂降りの雨の中で越えた
天城峠の全容までが見渡せる。

そして北を見れば
御殿場の町並みの向こうに
白い頂を輝かせる南アルプスを従えて富士山が
伊豆方面からならではの
女性的な裾野を優美に広げていた。








誰もいない展望台の上で
足リ回って写真を撮りまくり
やがて寒さに耐えられなくなって階段を下り
風を避けるように展望台の南側の壁に
ザックといっしょに腰を下ろして
バーナーで熱いコーヒーを沸かした。

目の前に天城の山々が広がっている。

伊豆の山の中で
唯一雪が積もる峠を
今この時間に越えている登山者は
はたしているのだろうか。

草原を見渡すと
先ほど見た単独の女性登山者は
何時の間にか姿を消していた。

気持ちの良い青空の下
誰もいないカヤトの山頂で
僕はすることもなしに
ずいぶん長い間
ぼんやりと景色だけをを眺めていた。

何時まで経っても人の声はせず
時おり吹く強い風と
それに揺れるカヤトの擦れ合う音だけが
聞こえていた。


長い間じっとしていたせいか
さすがに身体が冷えてきた。

山を下り宇佐美の温泉に浸かることにした。

広げていた荷物をザックに突っ込み
何時の間にか
とても重くなっていた腰を上げて
ストックを握った。

帰りは来た道を戻らず
峰コースと名付けられた尾根を下って
鎌倉の戦(いくさ)に敗れた
平家の落ち武者達が埋められたという
「生仏の墓」や「行者の滝」といった
史跡を訪ねて宇佐美に戻ることにした。



予想をはるかに上回る展望にすっかり満足した僕は
土の道にストックを突き
往路よりもずいぶんと急な道を
鼻歌を歌いながらのんびりと下った。





しかし

やがて

山道を下るうち

土から湧き出たと言い伝えられ

登山道の真ん中に横たわる

兼神福養速地蔵を遥か下の方に見つけ

それを

道中で倒れた登山者と勘違いした僕は

腰を抜かしそうになるほど

度肝を抜かれる事に

なったのである。











2003年1月25日


小田原旨い店 だるま料理店に進む

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